コマドリが飛び去ったあとビーバーが現れ、タムナスに託されたハンカチを見せて味方だと言うのです。そしてビーバーは、アスランが到着していると告げます。
そのとき、子どもたちの中でさまざまな感情がわきおこるのですが、ここのところの描き方がとても素晴らしい。わたしはここのところを暗記するくらい読んだことがあります。
良質なファンタジーを読む、ということは、自分の中に別世界を感じることだと思います。そのアスランがイエス・キリストを意味していることは、この際関係ないのです。むしろ、キリスト教的な背景はありながら、新しい世界の感触がある。
エドがこのアスランということばに恐怖を感じたのは当然です。魔女の側についているというだけではありません。ひねた大人の感覚から恐怖したのです。帰り道のことを言ったのはエドマンドですし、コマドリにもビーバーにも疑いの目を向ける。素直に見ることの出来ないひねた大人の目線。
「子どものように素直にわたしを受け容れなさい」ということばがイエスのセリフにあったはずですが、すでにエドマンドはじゃっかん大人になっています。
この世界では、たぶん一番しっかりしている人間でしょう。だけどお腹は減るもので、疑いを抱きつつもビーバーについていく。その時彼は、ある恐ろしい考えが浮かんでいたのでした。
『ライオンと魔女』において重要な役割を果たすエドマンド。どんな考えを抱いたかは、追々わかってきます。夢見るようなファンタジーの描写に、エドマンドの暗い考えが影を落とす。描写もさることながら、起伏の飛んだストーリー展開です。