春が来たので、白い魔女から追いつかれる気遣いがなくなり、ゆっくりと石舞台に向かう一行は、ついにアスランと出会います。そこには、善でありながら同時に恐怖の対象であるライオンが、テントのなかで待っていました。
エドマンドのことを聞かれたピーターは、自分のせいで魔女に走って行ったのだと謝罪します。なんとかならないか、とルーシーが泣きつくと、アスランは一瞬かなしげになりますが、「あらゆる手を打とう」と約束してくれます。
アスランという『ライオン』には、善であるという定義がされていますが、具体的にまだこの時点で『善とはなにか』が定義されていません。頼もしい味方ですし、裏切ることはないのでしょうが、全面的に頼ってだいじょうぶなのか、という不安も多少はある。
アスランがライオンである、ということには意味があります。イエス・キリストは西洋では、『ユダのライオン』と称されているのです。もちろん、百獣の王ということも含めて、威厳と権威の象徴。人々を導き、救い出す人。恐ろしいというのは、神さまだから当然。庶民的というわけではありません。
裏切ったエドマンドを救うために、アスランはあることを決意しているのでした。それは、たかがターキッシュ・ディライトを食べたかっただけにしては、重すぎる決意でした。
人によっては、食い意地の張った子どものために、命を捧げるのは不自然だというむきもあります。話が極端だというのです。
ファンタジーにありがちな極端さだと思えば。