エドマンドのためにアスランは命を奪われます。その際のアスランのかなしげな様子と、魔女の手下どものあざける様子は、まさに聖書のイエスとその敵対者の記事を彷彿とさせます。つらいシーンです。
しかしもちろん、この話はこれで終わりではありません。アスランは、いにしえの魔法よりさらに古い魔法によって復活します。そして魔女と戦い、これに勝利します。
これを見ると、ナルニア国ものがたりの主人公はやはりアスランなのだろう、という印象があります。どんな物語であれ、主役が死ぬことはほとんどありません(もちろん架空戦記ものとか架空歴史物とかだったらあり得る話です。たとえば『銀河英雄伝説』などは、主役級のヤン・ウエンリーがテロで死んでしまいます)。なので、この話はほんとうはエドマンドが主役というわけではなく、アスランなのではと疑ってしまいます。
そこで思い当たるのは、英語の感情表現です。関係ないと言わずに最後まで聞いてください。
感情を表す動詞の語法―――surpriseなど感情動詞は「驚かせる」など『~させる』という意味になるんですが、その理由は、文化に宗教があるからです。
日本人の考えでは、だれかに好意や嫌悪などの感情を感じた瞬間、自分の心に何かが芽生えたような感覚になるのですが、英語圏の人は「神さまが自分に興味や感情を持たせた」とふだんからそういう感覚です。
『生まれたときから小指と小指が赤い糸で……』云々みたいなこと、聞いたことありませんか。ひたすら他者が「~させる」「させる!」という意味を持ちます。
人間は、感情で動く動物です。エドマンドにせよルーシーにせよ、アスランによって動かされているというメッセージを感じ取ることが出来るかもしれません。そしてその底にながれる、どんなにつらいことがあっても神がいればだいじょうぶ、という信頼を感じることもあるかもしれません。
最後の章、『白ジカ狩り』でペベンシーきょうだいは現実世界に戻ってきます。「冒険が待っている」と期待して街灯まで戻ってきて、衣装だんすから転がり出てくるのです。
そこにあるのは、ファンタジーの世界もワクワクする冒険だけれど、現実世界も冒険そのものだ、そして神さまといっしょならその冒険も軽々と超えていける――というC.S.ルイスの信念のようなものを読み取ることができるかもしれません。
というわけで、『ナルニア国ものがたり』研究。いかがでしたか。
したり顔であれこれ話すようなこともないので、この研究はここまでにしておきたいと思います(アクセスがないですしね……笑)。
また気が向いたら、続きも書くかもしれません。その節は、よろしくお願いします。