あすにゃんの やっぱり『ナルニア』!!!!

『ナルニア国物語』にまつわるあれこれです。

06 『ライオンと魔女』017 秘密の花園

 タムナスに起こったおそろしい出来事を目のまえに、まごまごしていたペベンシーきょうだい。そこへ現れたのは、コマドリでした。

 ルーシーは、コマドリを見つけて「あとをつけましょう」と言い出します。

 どっちの側かわからない、罠にはめようとしてるかもというエドに、ピーターが「自分の読んだ物語では、コマドリはいい小鳥だった」と反論し、実際、いい小鳥だったことがわかります。


 ここでわたしの思い出すのは、バーネット夫人の『秘密の花園』です。この物語でも、コマドリが出てきます。

 主人公はメアリーという、ひねくれ者の女の子。都会から田舎のヨークシャーにやってきます。両親が死んだので、親戚に引き取られたんですね。メアリーはコマドリに導かれてとある庭を見つけます。

 その庭の美しさといったら!

 

 メアリーは雑草を引き抜き、手入れを始めます。そして徐々に心と体の健康を取り戻していき、そればかりか、いとこのコリンの病気まで治しちゃうというストーリーなんですが、それはともかく。


 英国では、コマドリは善の象徴であるらしいのです。吉兆を告げる鳥、春の予告をする鳥など、さまざまな物語やエピソードに登場すると言われています。

 

 コマドリは、もちろんアスランの変身した姿だと思われますが、だからこそエドはいろいろ疑念を口にしてじゃまをするのです。ピーターはまともに取り合いませんが、エドマンドの、「帰る路が判らないぞ」ということばに、はったと現実に戻るのでした。

 

06 『ライオンと魔女』☆☆☆16 ひねくれ者と臆病者


 ピーターがキツイひとことを言って、エドマンドが気取りやのいい子ぶりっ子めと心の中で反発する気持ちは、わたしにはひとごとではありません。母からいつも、キツイことを言われてましたからね。心の柔らかい子どもに対して、あんまりな言い方。わたしはエド派です。

 


 エドがひねくれ者なら、スーザンは臆病者。タムナスさんの家の惨状を見て、帰りたいと言い出します。お昼も食べたい。

 


 それに対してルーシーは、タムナスの家に釘付けされていた紙切れに書いてあった、
反逆罪というのは自分をかくまって帰してくれたからだ、タムナスを助けなきゃと口走ります。それは勇気の要る選択です。見なかったことにして、さっさと家に帰ればそれですべてがおさまったかもしれない。この後に展開する悲劇も起こらなかったかも。

 


 ただでさえ白い魔女は、ナチスか日本の特高かというぐらい高圧的な態度だし、冷酷です。

 


 ひとを支配するには、愛情ではなく、恐怖がいちばんだと彼女は知っているのです。
 そりゃ、いまの世の中でもそうですよねえ……。


 核兵器がなくならないのは、恐怖で世界を支配したい人がいるからでしょ。結局。


 中国や北朝鮮が恐いという放送をすることで、日本を団結させるということも、政府は考えているなんていう論説も見たことがありますが、ほんとかどうかは知らない(笑)


 ひねくれ者と臆病者にはさまれて、それでもピーターは、ルーシーの意見を採り上げます。
 やはり、ピーターはルーシーが大好きなんです。エドがひねくれまくるのも、この

 えこひいき

 に起因するかもしれません。


 ぼーっとしてるんじゃないよ。
 白い魔女に見つかったら一網打尽ですから。どうしますか、ペベンシーのみなさん。

06 『ライオンと魔女』☆☆☆015 ドジなエドマンド~魅力的な悪の描き方

 冬のナルニアに入り込んだピーターたちは、スーザンが「この衣装だんすの毛皮を借りましょう」という案に賛成します

 

 

(持ち出すわけじゃないという理屈は笑える)。

 


 そして、エドマンドはドジな失敗をします。ごっこ遊びをしていたと主張していたのに、ここを知っていると口走るんですね。


「街灯のところへ行きたいなら、こっちがいいよ」
 それを聞いて、みんなは凍り付きます。


 エドマンドは、ナルニアに来たことがないはずだったからです。


 だからエドマンドには目が離せません。次になにをしでかすか、予測が付かないからです。ルーシーは、典型的ないい子なので、だいたい行動パターンは読めますが、エドマンドはそうはいかない。悪というのはさまざまな形を取ります。魅力的な悪というのは、それだけで読ませますね。


 ピーターは、エドマンドのことばを聞いてキレてしまいます。やっぱりここに来たことがあったのか。そして厳しい態度を取ります。


 エドマンドにも、言い分はあるでしょうに、悪いことをした、という理由で怒り狂うとは、ピーターも寛容ではありません。ルーシーが好きなのはわかるけど、ひいきしてるかもしれない。もしかしたら、ふだんからこの兄弟は、仲が悪いのかも。


 ピーターが寛容でないとしたら、スーザンは臆病です。なにかというと帰りたいと口走る。でも、帰り道がわからないし、ルーシーはタムナスさんを助けなきゃと主張する。


  大人の手をかりずに、悪と立ち向かうことを決意するピーターは、寛容でないにしても立派です。このあたりのキャラクターの描き方が秀逸で、このシリーズはわたしにとっては、何度読んでも学ぶことが多いのです。

05 『ライオンと魔女』☆☆☆014 追い詰められて

 カーク教授のフォローのおかげで、ルーシーはエドのいじめから、ピーターがまもってくれるようになりました。

 

 衣装だんすの話はタブーになり、それでこの話はおしまいか、と思われたのですが、実はそうはなりませんでした。

 


 その理由は、歴史的建物だったカーク教授の屋敷。

 


 あちこちに甲冑や本が並んでいる、という描写がすでにあったので、唐突な感じはしませんでしたが、マクレディさんという家政婦が唐突に出てきて、これには戸惑いました。


 カーク教授、ひとりものなのかな。

 


 あとで『魔術師のおい』を読んだのですが、そのときはポリーというお隣さんがいたんです。けっこう仲良しだったはずですが、さてさて、ポリーはいまどこに?

 
 しかしカーク教授は、既に「お互い他人の詮索はせんことだ」と言って話を打ち切ってしまいました。


 そんな彼が、見学者を歓迎して屋敷に入れるというところ、それでお金を儲けているのかと疑いたくなる記述です。自分の住んでいる家が歴史的価値がある、ということで、「拝観料」みたいなのを取っていたかもしれません。


 歴史的建物ってやつには、補修のためのおカネがかかります。


 京都のお寺の拝観料が高いのは、主にそのためですね。


 そんなこんなで、見学者に追い詰められ、あちこち逃げまどっているうち、衣装だんすの部屋に入ってしまう四きょうだい。このなかに入ればだいじょうぶ、とばかりにたんすの中へと飛び込んでしまいます。


 ピーターもぴったり扉を閉めません。これをある人は、「良識のあるひとは、ファンタジーと現実の間の風通しをよくしておく」と評していましたが、ピーターはこれからファンタジーの世界へ入ると知らないわけですからどうなんでしょうね。

05 『ライオンと魔女』☆☆☆013 ファンタジー論理学?!


 帰ってきたルーシーとエドマンドは、ナルニアのことを再び兄と姉に話しますが、ここでエドマンドが裏切り、ごっこ遊びをしていたと言い出します。


 そのためピーターもスーザンも心を痛め、ルーシーの頭がどうにかなったに違いないと、カーク教授に全てを打ち明けます。


 するとカーク教授は、論理学を持ち出してきて、ルーシーの話は信じられる、と証明してしまいます。


 この、『論理学』という言葉が、小学四年生のわたしには衝撃的でした。

 


 それまでわたしは、お話というものをマトモにとりあったことがなかったんです。だって読んでるのがほとんど洋物ですよ? 外国人の話を読んで、「ほんとうのことだ」と思えというほうがムリってもんです。


 ルーシーの苦境も、(ルーシーがいい子すぎるせいもあって)それほど身近じゃなかったんですが、カーク教授が『論理学』を口にしたとたん、ナルニアがまるで実在する国のように感じられてきたのです。


 いままで、夢物語に論理学を持ち出した小説を読んだことがあったでしょうか。珍しい話だ、新しい話だ。(時代は古いけど!)この話、もっと真剣に向き合った方がいいんじゃないだろうか。


 中学1年のときに『シャーロック・ホームズ』を読む機会がありましたが、カーク教授の論理の組み立て方が、ホームズと似ている(いや、話は逆で、ホームズのほうが時代は古い)ことに気づいて、ドキドキしたことを覚えています。


 ○○は、××ではありえない。
 △△も、××ではありえない。
 故に、◎◎は、○○である。

 


 論理は苦手ですが、今でもこのシーンは、わたしには新奇なお話です。

04 『ライオンと魔女』 012☆☆☆そりゃないぜ、アスラン!


 帰る道がわからない、というエドマンドに、ジェイディスは街灯の道を教え、自宅の城も教えます。
 ここで不思議に思う人もいるでしょう。ジェイディスは、なぜ人間界に行く道を知っていながら人間界に侵入してこないのか。


 そのあたりは、『魔術師のおい』で考えていくしかないと思うのですが、いま考えられるのは、


 キリスト教的に考えるなら、イエスの支配(天国が来る)前には、邪悪の時代が続くというのが聖書的解釈であります。

 つまり、ジェイディスのナルニア支配は神によって約束されたものなのです。

 住んでいる人は、たまりませんね。


 こういうところが、キリスト教のよく分からないところなんです。
 邪悪に勝て、と言って置いて、邪悪を許す。


 矛盾だらけの宗教です。


 なんであれ、ジェイディスは街灯のそばにエドマンドを置いて立ち去り、それと入れ違いにルーシーが現れます。
 エドマンドはおざなりに、ウソつきと言ってゴメンと謝るのでした。
 意地っ張りなだけじゃなくて、ジェイディスの魔法のせいで、悪い子の部分がより強くなってきたのでしょう。


 実際、ルーシーからジェイディスの正体を聞かされて、自分が悪い側についていることを実感し、気分が悪くなってしまいます。(ターキッシュ・ディライトの食べ過ぎ、という面もあるかも)
ルーシーは、性格の悪い兄に対しては、さほど怒りを感じていないようです。
 これもまた、「いい子すぎる」面でつまらない、とネ友がいうひとつの原因になっているのでしょう。
 

04 『ライオンと魔女』 011☆☆☆エド派として言いたいこと

 というわけで、白い魔女ジェイディスと出合ったエドマンド。
 最初、ジェイディスは、このエドマンドを殺そうとするのです。
 そんな人のお菓子を食べるんですから、エドマンドというのはほんとに頭が悪いというか……、間が抜けた人間です。
 とっさに、その場を逃げ出すいいわけというものを考えつかなかったんですね。

 


 少し、身近に感じます。

 


 わたしもお世辞にも、機転が利く方じゃないもんで(笑)
 最初はエドマンドを殺そうとするジェイディスですが、彼を味方に付けてきょうだいを一網打尽にしたほうがいい、と思いついたので、裏切らせるためにエドマンドの一番好きな、
『ターキッシュ・ディライト』

 

(トルコの欲望という名のクリスマスに食べるお菓子)を魔法で出すのです。


 これが、一度食べたら死ぬまで食べ続けるという魔法がかかっていたんですね。

 


 胸に一物ある人間からのプレゼントは、用心した方がいいんです。

 


 わたしの受けた詐欺の講習でも、
「安いですよ」
 という触れ込みで、商品を売り込み、会場で盛り上げていくうちに、1個30万円もするふとんを買わされた、なんていう例がありました。
 お金や地位のある人は、ねらわれやすいから要注意。